絶対幸せになってやる。

とはいえ、無理に幸せになることもないw

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傷つくならば、それは「愛」ではない、こともないんじゃないかと。

 

『傷つくならば、それは「愛」ではない/チャック・スペザーノ』

という本のことを、多分出版当初から知っていたのですが、

私はタイトルの意味を15年以上も誤解していました。

 

 

その人との関係で(自分が)傷つくなら、

その関係は、愛ではない。


という意味だと、ずっと思っていたんです。

 

タイトルが気になってはいたものの、なぜか読まずにいて、

元彼とのことで苦しんでいた時、この本のタイトルを思い出しながら、

 

この関係は愛じゃないってことなのかな、

やっぱり早く別れたほうがいいのかな、

と考えていました。

 

そして、また新しい彼とのことで苦しみ始めた時、

またこの本のタイトルが浮かんできて、

 

やっぱりこれは愛じゃない、のかな。と思いながら、

ネットの書評を読みつつ、ついに手にとってみると・・・

誤解だったことが分かりました。

 

そして本当の意味を知って、その時は自分を恥ずかしく思いました。

 

なぜなら、

 

傷つくならば、それは「愛」ではない。とは、

自分が差し出したものに対する、

相手の反応で自分が傷つくならば、

自分が差し出したものは、それは愛ではない。

 

という意味だったからです。

 

例えば、

 

喜んでもらおうと思って言ったりしたりしたことを、

喜んではもらえなかった、

それで腹が立ったり傷ついたりするなら、

その言動は、

相手にただ喜んでもらおうと思ってしたことではなく、

相手に喜んでもらうことで自分が愛されていると感じたいからしたことで、

だから喜んでもらえなかったら、腹が立ったり傷ついたりする。

 

という意味だったからです。

 

 

愛情を奪おうとしているから、

愛してほしいと要求し期待しているから、

見返りを求めているから、

そのことに無意識に気付いた相手が抵抗して、

その抵抗に傷つく・・・

そしてその抵抗の言動に、傷つく。

 

愛情がほしかったのに、

それがもらえなかったどころか拒絶されたから。

 

 

それは、自分本位でしかないと。

 

 

だからこの言葉の意味を知った当初、

 

そっか、私は彼を愛しているつもりで、

彼から愛情を奪おうとしてたんだな、

だから思ったように(私の気に入るように)愛してくれない彼に、

苛立ったり、傷ついたりするのか、、、

 

なのに、

この、私が傷つく関係は、愛の関係ではないってことなのかな、

って思ってたのか、、、

 

と気がついて、恥ずかしくなったのです。

 

そして、

これからは本当の愛を差し出そう、と思いました。

 

それでも、なかなかできませんでした。

 

彼の言動に、勝手に傷ついて泣いてばっかりでした。

 

そして傷ついては、

また本当の愛を差し出せなかたんだな、私ってダメだなって、

私っていつまでも利己的だなあって、自分を責めていました。

 

分かってても苦しいんです。

 

見返りを求めるから苦しい、

期待をして期待通りを要求するから苦しい、

 

分かります、分かりますよ。

だけど苦しいんです。

なんで私ばっかり?って思っちゃうんです。

 

頭が理解しても、

心が全然納得できない自分が苦しかった。

 

 

でも今、思うんです。

 

確かに、

愛してほしいという思いは、相当に重い。

 

そしてそれは、もうどんなに隠そうとも伝わってしまう。

自覚があろうがなかろうが。

 

それでも、

その重さを感じとって、重たいと感じても、

離れてしまわないのは、

別れてしまわないのは、

 

愛してほしいという気持ちが混じっていたとしても、

愛そうとする姿勢には、

やっぱりちゃんと愛があるからじゃないかって。

 

そして重い思いと純粋な愛と、

両方が伝わって、

拒否反応も返ってくるけど、

愛も返ってきてるってことじゃないかって。

 

だから、

傷つくならば、それは「愛」ではない、

こともないんじゃないかと。( ̄▽ ̄)

 

まあでも、

期待する気持ちや見返りを求める気持ち、

愛してほしいという気持ちが薄まれば薄まるほど、

ラクになって、

愛されてるって感じやすくなるとは思います。