絶対幸せになってやる。

とはいえ、無理に幸せになることもないw

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【閲覧注意】死にたい気持ちになった時・消えてなくなりたい気持ちになった時も(2)

 

「そんな風に思っちゃダメ」っていったって、

もう思ってしまってるんだから。

 

 

それを・その気持ちを・その気持ちを持っている自分を否定すると、

しんどさが増します。

 

というよりも、

 

すでに思ってしまっていることを否定するから、

しんどさが増すのだと思います。

 

 

「そんなこと思っちゃダメだよ」「そんな風に思ってもどうにもならないよ」

「親が悲しむよ」「死んだら終わりだよ」

「そんなこと言わないで」「生きてればいいこともあるよ」

 

そんなこと言われなくても分かってるんですもんね。

(ですよね?)

 

だから、その気持ちを否定されるのが分かっているから、

やんわり諭されるのが分かっているから、誰にも言えません。

(だから、もし誰かに話すとしたら、絶対に否定されない人を選んで下さいね)

 

その上、自分までがそんな風に自分を否定すると、

苦しさが増す一方だと思います。

 

そんな「正論」でもって死にたい気持ちをいさめる人達が

助けてくれるわけではないし、

自分は親や誰かのために生きているのではないのだから、

「親が悲しむから」といった他者ベースの理由で、

自分の気持ちを否定する必要はないと思うんです。

 

私の場合は、

苦しさの渦中にあっても、そうはいっても死なないんだろうな、

と頭の別のどこかで思っていたりしたのですが、

(いつでも自分を斜め上から見ている自分がいるんです)

 

でも苦しくて苦しくて、

だから死ぬつもりで身辺整理しようと思っても、

片付ける元気も出なかったことがありました。

 

その時、

私はこの、

 

今死んでも数十年後に死んでも変わらないんじゃないのかと思う自分、

死ぬつもりで身辺整理しようとしている自分、

でもその気力も湧かない動くこともできない自分、

親のために生きているわけじゃないんだから

死ぬかどうかも自分次第でいいんじゃないかと思う自分、

 

こういう、

普通だったら良しとされないことを考えている自分を、

徹底的にOKとしました。

 

職場へは淡々と行って、仕事はこなし、同僚とは談笑もしていました。

 

これも「普通」だったら、

「普通に社会生活を営めているんだから、いいんじゃないの?」

って言われるかもしれません。

 

(この時ではありませんが、私は過去に、

 精神科医や臨床心理士にそう言われて余計に苦しくなったことがあります。)

 

でも、

ある意味オートパイロットで普通に社会生活を営める、

人前では営業スマイルもできる、

だからこそ、

自分の本心とのギャップで、さらに苦しいのですが。

 

だって外面はいつもとそう変わらない自分を保ちつつ、

内面は無力感や無価値観があふれているのですから。

 

死ぬつもりで断捨離するとしたら、何もかもいらないよね。

彼を傷つけないように別れるにはどうしたらいいんだろう。

死ぬのであれば、結婚しなくていいし、お金もいらないね。何にもいらない。

太ってもいいし、好きなもの好きなだけ食べればいい。

死んだ時、保険とかすぐ分かるようにしとこう。何を書いておけばいいかな。

お父さんお母さんにはごめんね。彼には?

 

等という考えが、あとからあとからあふれてくるんですから。

 

でも私はその時、その自分をそのまま良しとすることにしました。

 

ただでさえ浮上できそうに思えないのに、

こんな自分を肯定していたらどうなるんだろうって怖くもあったのですが。

 

(つづく)