絶対幸せになってやる。

とはいえ、無理に幸せになることもないw

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心のシャッターを下ろすと、傷つかないけど愛も感じられない

 

私は以前、心にシャッターをつけていました。

その上、さらに心の鎧も着ていました。

 

 

いつ心にシャッターを取り付けて、いつ心に鎧をつけたのか、

頭で分かっているのは、

父親に対しては、物心ついた頃から小学校低学年の頃、

母親に対しては、中学生の頃、

周囲の人に対しては、大人になってから、

 

・・・なのですが、

でも、

心で取り付けたのは、全部同じの幼少期なのかなと思います。

 

小さい頃、家族でお出かけするのが嬉しくて、

「どこ行くの~?」って話しかけてきた近所のおばさんに話すと、

ものすごく怒られて楽しい気持ちがしぼんだ記憶があるので、

周囲に対しては閉鎖的であれ、と、その頃にもう浸透してしまったのかも?

 

それでも、というか、それだからこそ、

その時々の彼氏に対しては、

100%オープンでいたかったし、

100%オープンにしてほしかった。

 

その時々の彼氏に対して、

心のシャッターを下ろしているつもりも、

心に鎧を着ているつもりもなかった。

でも、うまくいかなかった。

 

それは、その時々の彼氏に対して、

100%オープンにしているつもりだったけど、

100%オープンにしてもらうためだったから、

だと思います。

 

「コントロール」だったんですよね。

 

そして、それは、

100%オープンにしてもらっていないと愛されていない、

と思っていたから、

自分の分かる形の愛を奪おうとしていたから。

 

やっぱり「コントロール」ですね。

 

それに、この愛し方、愛の奪い方って、

父親のそれを知らずに継承していたみたいです。

Σ(゚д゚lll)ガーン

 

父親は、

家族に対しては100%オープンであれ、外に対しては閉鎖的であれ、

というスタンスでしたから。

 

心のシャッターを下ろしたのは、

傷つきたくなかったから、

傷つくのが怖かったから、

だと思います。

 

シャッターを閉め始めた幼少期に

そう思ったかどうかは分からないのですが。

 

中高生の頃は、

手放しで信じて期待して裏切られるのに疲れたから、

信じないほうが、期待しないほうが、楽だと思ったから。

 

大人になってからは、

当初は良い子でいるのがもはや当たり前になっていて、

シャッターを下ろしているのに気がついていなかったけど、

ちゃんとできていない人、何も持っていないみじめな人、

と思われるのがイヤだったから。

 

シャッターも一枚ではなく二重三重で、

一番外側は営業用。(笑)

 

だから、

心のシャターを下ろすのは、心に鎧を着ているのは、

悪いことばかりではありません。

 

いい子でいられます。

いい人でいられます。

 

外に対して閉鎖的であるのと裏腹に、

外からの評価が高かったりします。

 

元彼も「いい人」でしたし、

今彼も「いい人」ですし、

私も「いい人」です。

 

似たもの同士・・・・・・Σ(゚д゚lll)ガーン

 

そういえばお父さんもだ・・・!! orz

 

 

彼と親密な関係を築けない、

どうしても彼に近付けない、近付かせてもらえない、

と悩んでいた時、

 

そういえば元彼とも同じだった、

と悩んでいた時、

 

彼達が閉鎖的なだけなんじゃなく、

私もまた閉鎖的で、

彼達が親密感に恐れを抱いているだけじゃなく、

 

私もまた、というか私がこそ、

親密感に恐れを抱いている、

 

だからそうなる、と知ったのですが、

どうしていいか分かりませんでした。

 

彼に対してシャッターを開けて、心を開いているつもりで、

わがままというか思っていることを言って、

そのたびに「無理!!」ってシャッターを閉められました。

 

そんなシャッター閉められ期間中、

そう親しくない人の集まりに出かける機会がありました。

 

にこやかに談笑したりして接する、私。

とっても「良い人」の、私。

 

ここにいる人達は、そんな私のことを

「いい子」「いい人」って思っているんだろうな。

私、こんなに「いい子」でいられるのに。

 

彼に対しても、いい子のままでいられたら、

そしたらシャッター閉められなかった?

 

でも、私がほしいのは、こんなのじゃない。

こんな上辺の関係じゃない。

営業用のいい子の私が、いい子と思われることじゃない。

 

彼とシャッター越しに接したいわけじゃない。

もっと心を触れ合いたい。

親密感を築きたい。

 

と思いました。

でも、どうしていいか分かりませんでした。

 

結局、

何をどうしたわけではないのですが、

 

私は心の奥底で親密感を恐れているのかも知れないけど、

私は親密感を築きたい。

と思い続け、フォーカスし続けているうちに、

 

少しずつ、

その恐れが溶けてきたように思います。

 

私の心の奥底の親密感への恐れが、

同じような恐れを持った彼と引き合う、

 

なら、

私自身の恐れを溶かさないと。と思いながらも、

彼の恐れを溶かしてあげたい。だなんて思っていたのですが、

 

そういう「してあげたい」気持ちの中から

コントロールの度合いを薄めて(手放して)いくうちに、

 

なぜか、

少しずつ、

その恐れが溶けてきたように思います。

 

 

心を開くと傷つきます。

傷ついたから、心のシャッターを下ろしました。

 

でも心を閉じたままでは、

ほしい親密感は手に入らない。

 

心を開いて、

傷ついて、

傷ついて、

苦しんで、

また閉じそうになったりもしたけど、

開き続けて、

 

結局、

シャターを開けた方が、

心を開いていた方が、

傷ついたけど、苦しんだけど、

(それにどっちみちシャッター下ろしてても傷つくんですよね)

愛情も感じられるようになりました。

 

今彼の愛情だけでなく、

元彼の愛情も、

父親の愛情も。

 

私は、いつでも愛されていたなあと、思うのです。

 

もちろん、

彼らの言動で傷ついたこともあったのは事実なのですが、

そのことよりも、

愛情をもらったことのほうに、自然とフォーカスがいくのです。