絶対幸せになってやる。

とはいえ、無理に幸せになることもないw

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引き寄せの法則はあるのか。手放せば願いは叶うのか。 ~ 手放すということ(1)

 

手放すってどういうことか、

やっと分かってきた気がします。

 

というか、

結論を先に書くと、

 

 

手放したからかなうんじゃなくて・・・・

 

かなう時期がきたら、手放すことになるんじゃないだろうか。

 

と、思うのです。

 

自分ではそれと意識していない・できないから、

手放した → かなった

という順番に感じるのだと思います。

 

でも本当は、

そうなる時期がきた → (無意識に察知して)力が抜けた

ということなんじゃないかな、と思うのです。

 

ところで、

 

私がまだ『(私は)彼も、誰も、(私が)癒さなくていい』という

気付きに辿りついていなかった頃、

自分を癒しつつ彼を癒すにはどうしたらいいんだろう。

どうしたら、自分を幸せにしつつ彼を幸せにできるんだろう?

という相反するように思えることで悩んでいた頃、

(私こんなんばっかり。笑)

 

私のバイブルのうちのひとつは、

『エースをねらえ!(山本鈴美香)』でした。(テニスのスポ根マンガです)

どこかに「答え」がないかと、なめるように読んでいました。

 

主人公が、エース(ポイント)をとることへの執念と、

無我の境地でいることとの並存に悩んでいるエピソードがあるのです。

 

エースは、もちろんねらうもの。

エースをとるために、勝つために、

練習して練習して練習して練習する。

血を吐くような特訓を繰り返す。

でも、

エースをねらいすぎると、力んで決まらない。

決めようと思うほど、決まらない。

決めてやろうなどと思えば、なおのこと。

 

「なぜねらわずにエースがとれる! なぜじぶんを無にできる!!

 わからない わからない!」

 

と、主人公は悩んでいました。

 

それで私もその答えを探して探して、読み込んでいたのですが・・・

 

答えが記述されることはないままに、

主人公本人もなぜ自分ができるようになったのか分からないという感じで、

その域を脱してしまったのです。

 

タロットを習っていた先生には、

「結果に対する執着を手放すんだよ」

と教わりました。

 

お祈りやアファメーションしていることについて、

願っていることについて、

叶わなかったら今やっていること

(お祈りすること・アファメーションすること・願うこと)

は無意味だ!!

と思うことが、結果に対する執着だよ。

 

と教わりました。

 

だから、

結果に対する執着を手放したいと思いました。

 

その時は、

執着を手放すことと、フォーカスを変えることとは、似ている、

と思いました。

 

それ(願い)について、それが叶うかどうか心配している時点で、

信じてない=手放してない、ということだと思っていました。

 

でもこれって今振り返れば、

 

私の当時の頑張りって、

 

執着を手放したい!!!!!!! と頑張ることって、

 

それ自体が執着ですね・・・

 

Σ( ̄▽ ̄lll)ガーン